その時はまだ知らなかった #2
アメリカ移住を決意するまで
アメリカに移住をするきっかけは、当時家族で日本にいながらアメリカのビーチタウンにいる感覚を感じることのできる空間というコンセプトの元、cafe&salonのお店をオープンをしました。
閑静な住宅街という場所でニッチな部分に飛びついてくるお客様はいるにはいるが、それでも数は少なく、場所的な事も重なりお店はなかなかうまくいかず、日々やりくりするのがとても大変でした。
そして何度も家族で話し合った末に、とうとうお店を閉じることを決心しました。「日本に居ながらメリカを感じるお店」という事を無理矢理していても意味がない。それなら「家族で夫の故郷に移住をしよう」という事になり、アメリカ移住を決意しました。
これまでの人生の集大成のつもりで、いろんな思いを持ちながら、一大決心で家族一丸となって開いたお店だったので、何度も話し合って閉めることを決断する時は悔しくて、悲しくて、何度も泣きました。本当に残念でならなかったです。
その後、しばらく私達はそれぞれの会社で働きました。
そして、だんだんと気持ちも変わっていきました。
その当時、70代後半の年齢の母には申し訳なかったのですが、2年間かけて妹と共に話をし続け、最初はなかなかその気になれない母も、将来の事を考慮した想定をして話していくうちに、やっとその気になってくれました。
(考えると、とても無謀な事だと思われるけど、それ以外に道はなかったし、結果としては良かったと思っています。)
2年後の夏にやっと話が進み始めました。そしてその年の年末に2週間フロリダに家族で行き色々と物件を見て周りました。母もその時は半信半疑ながら「日本ではなく、フロリダに住む」そのつもりでした。
翌年の夏に、みんなで住んでいた実家を引き払いアメリカ行きが決まるまではしばらくは、賃貸マンションに母と妹と私達夫婦で住まう事となったのです。全てのタイミングが整い動き始めました。
アメリカと日本の引っ越し
家を引き渡すには、全ての荷物をアメリカ行きの物と日本でしばらく暮らす用の物とに分けなくてはなりません。
まずは引越し業者に見積もりを取りました。海外への引越しと日本の引越しの両方できる業者を選別して、何社かネット上で絞り込み、結局2社に自宅まで来てもらい荷物を見てもらいました。
どちらも大差はなかったのですが、決め手となったのはアメリカに荷物が辿り着く場所が、フロリダのマイアミ港かLAのロングビーチ港かの違いだったので、陸路でウエストパームビーチに近い、マイアミ港へ到着してくれる会社を選びました。
日本と海外、両方の引越し作業をしてくれて、約125万円は意外と安いのではないかと思いました。とにかくここまでくるのに約6年という歳月がかかりました。というもの、全てをかけて家族全員でアメリカに行こうとしているのです。普通ならそんな無謀なことはしないと思のですが、でも、もう何も失うものはないのだからやってみるしかない。そんな思いで動き出しました。この時はすぐにみんなでアメリカに住めると思っていたのです。
私は、アメリカにすぐに行けると思っていたので、ほとんどの荷物はアメリカに送ってしまっていました。その当時、日本にはしばらくの間、過ごすだけだからと夏の間に必要な物だけはありましたが、2年半日本にいる間に、3回も冬を越す羽目になり、冬物をほとんどフロリダにとりあえず送ってしまっていたので、新たにコートや必要な洋服を購入したことでさらに荷物が増えてしまいました。VISAを取得するのにこんなに時間がかかるとは思ってもいなかったのです。
アメリカの荷物を整理しに行く
その年の9月には、アメリカへ送った引っ越しの荷物が指定していた倉庫に到着しており、先にフロリダに行った夫が立ち合い、確認しに行きました。
とりあえず倉庫に全ての荷物が詰め込まれている状態です。
12月にまずは荷物をどうにかしないといけないという事で、クリスマスとお正月も兼ねて、母と妹とフロリダに向かいました。そして家が見つかるまでの間に住むアパートを契約して、とりあえずそこに入る荷物をアパートへと移動させるのに、さらに現地の引っ越し業者に依頼をして運んでもらうという作業をしました。
そのアパートに入るだけの荷物を、倉庫に残しておく荷物と、生活するために使う荷物の選別を、その都度段ボールの中身を確認しながらの作業は、とても手間取り大変でした。
12月でもフロリダは暑く、アパートの3階まで三人の男性も汗だくで荷物を運んでくれました。しかし残念だったのが、その業者に買ったばかりのスピーカーを取られてしまったのです・・・。念の為、先方に確認をしたのですが、知らぬ存ぜぬの一点張りで、諦めるしかありませんでした。アメリカに来て教訓をもらった感じでしょうか。これはとてもショックでした。
そんなわけでなんとか荷物をアパートに置いて、当分の間、夫が一人で過ごすにはちょうど良い感じに整いました。
しかしまだ、倉庫には手付かずの段ボールが大量に残されているのがとても気がかりです。フロリダに家族でいる間に、何度か倉庫に通いながら整理して、仕分けをして、置き直したりしておきました。それでもまだまだ、大量の段ボールが減った訳ではないので、やる事を残したままその年の冬は終わりました。
この荷物は2020年の夏に私だけ渡米して再度、いらない物を仕分けして、トラックを借りてきて捨てるという作業を、夫と何度も繰り返しましたが、それでもまだやらなければならい事として残っています。
世の中はコロナで大変になり、私のVISAが取れるのにすごい時間がかかると分かって、母はとうとうフロリダに住むという決断を諦めることになり、妹と二人で日本に残ることになりました。
母にとっては、見慣れた土地で暮らす事になったのでよかったのかもしれません。









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