アメリカに来てそろそろ1年が経ちます#22『50歳からの新たなチャレンジ』
風邪をひいてしまった
久しぶりにブログを書いています。最近のフロリダは冬ということもあり暑すぎず、寒過ぎず、気持ちの良い風の吹く季節となっております。その日はとても寒く、最近の寒波のせいでジムで運動した後でなんかいつもと体感が違うなと感じつつそのままプールサイドでのんびり過ごしていたら、体が冷えてしまい、いつの間にか風邪のウィルスが体の中に入り込んでしまったようです。
熱が出始め約3週間ほど風邪を引いてしまいました。最初の頃は熱が出ると言っても37度代の熱がずっと続き、でも起きているのが辛くて眠ってばかりいました。多分毎日のルーティンに体も疲れていたのかもしれません。異様に眠気が強くて最近の浅い眠りを解消するかのように、起きては寝ての繰り返しの日々でした。
風邪も中盤となると咳が出始めました。食欲も最初はなかったのですが匂いがなく何も食べたくなかったのですが、それでも何か食べなくてはと思い、アメリカ人である夫の家族の提案は「チキンヌードルスープを食べて、コーラを飲んで眠るといいいよ。」ということでそれに倣ってやって見ました。
それも悪くはありませんが、私としてはやはりお粥やおじやのようなものが食べたくなりました。
そこで、少し元気になった頃に妹からもお勧めされていた、韓国風のお粥を作って食べたらこれまた栄養抜群で体も温まって、風邪ひきの身である私としても大満足の出来栄えでした。
<私の作った韓国風お粥>
1、お米を洗って少し水につけてしばらく放置した後、水気を切っておく。
2、大根、人参、白菜、食べ易い大きさに切る。ねぎ、生姜細切りを準備する。鶏肉はなかったのでフライドチキンの衣を外して、細かく砕いたものをで代用。
3、後からお粥に入れる漬けたれを作っておく。砂糖、スリゴマ、醤油、コチュジャン(なかったので海鮮醬を使用してみました)ごま油、各適量を混ぜ合わせておく。
4、鍋にごま油を熱し、ネギと生姜を入れて香りを出す。そこへ鶏肉と野菜を入れて炒める。最後にお米も入れて炒めてお水を800ml入れて。塩、お酒、鶏がらスープの素を適当に投入してお米が柔らかくなるまで煮る。
こんなに簡単なのに本当に美味しくいただく事ができて、本当に大満足でした。これでこれからもし風邪を引いたとしてもこのレシピがあれば心強いです。
夫も風邪を引いてしまったので、あまりお粥とかを食べたがらない人でしたが、ある日の夜にこれを作ってあげたら、美味しいと言いながら完食しておりました。
タックスの手続き
アメリカでもこの時期はタックスの手続きが必要だということで、夫とタックスオフィスに行きました。私は去年は収入がないのですが、なぜか夫婦として夫の手続きの書類に私のサインも必要ということで、社会保障番号カードとグリーンカードを持参して行きました。
受付で15分ほど待ち、担当の女性が現れて彼女のオフィスに案内されます。夫が持参した書類を提出しそれを確認してもらいながら、彼女がパソコンに入力をしてくれます。
そんな時まさかの咳が止まらなくなるという事態になり、手続き中にもかかわらず、早くお水を飲まないと死んでしまうぐらいに苦しくなって、オフィスを出て、受付にお水がある事を思い出して飲みに走りました。少し落ち着いて来たので、またオフィスに戻りましたが、5分後にまた再発し、再度オフィスから出て、しばらく廊下で咳がおさまるの待ちましたが一向に収まる気配がなく、さらに酷さを増して来たので、廊下の突きあたりまで行くとおトイレがあったのでそこへ駆け込みました。
もう涙、鼻水、咳で顔がぐちゃぐちゃになりながらしばらく、ゲホゲホ苦しんでいました。
5分後、やっと落ち着きを取り戻し廊下に出ると、そのオフィスで働く別の女性が
「大丈夫?お水をあげるわ。」と言いながら、休憩室のお水サーバーからお水を入れてくれました。
こういう時に、アメリカ人の優しさが身に沁みます。
このご時世、コロナなのではないかと疑われるかもしれないのに、そんなことを気にするよりも、心配をしてくれるという優しさに触れることができて、思わず感動してしまいました。
結局、タックスオフィスでの手続きはほとんどよくわからないまま、サインをするように促されるままにサインを何箇所かして終了しました。
アンティ クラリーサのお葬式に参加
そして悲しいことに、フォートラーダーディールに住む夫の叔母であるアンティ クラリーサがとうとうお亡くなりになってしまいました。88歳の大往生です。近くの教会で2日間に渡ってお別れの会とお葬式が行われました。
義理の母(以降ママと呼びます)もお姉さんが亡くなったので、足が不自由になったママもワシントンDCから飛行機で3年ぶりにフロリダに駆けつける事に。ただでさえ歩くことが困難で杖をついてゆっくりしか歩けない状態のママですが、その為に2週間の滞在をする事になりました。
初日に教会に着くと、アンクルバービーが一番前の席で来る人々を出迎えながら座っており、祭壇の前に白いグランドピアノのような素材の素敵な棺に入ったアンティが見えました。
あぁ、本当に亡くなってしまった。結婚してから今まで日本に住んでいたこともあり、あまりお会いする機会がなかった中、会うと、必ず家族として出迎えてくださった叔母です。近年は車椅子に乗って生活をしており、入退院を繰り返していたようです。最近では去年の彼女の夫であるアンクルバービーの90歳のお誕生会で家まで行きましたが、コロナ禍での誕生会は外でのみ交流をしていたのでアンティにはお会いできませんでした。そんなわけで私も3年前に会ったきりでした。
棺の中でアンティはピンクのサテンのスーツにレースの手袋、そしてお花のついた小さな帽子を頭に乗せてとてもおしゃれな雰囲気です。気持ちよく眠っているようででした。
アンティの3人の娘さん達も泣いていました。弔問に訪れたたくさんの方達もお別れに来ており家族にハグをして挨拶をしています。なんて心が温まる光景でしょう。そのハグによって悲しみも癒されるそんなハグです。親戚である私にもよく知らない間柄でもハグをしてくれます。4時くらいから7時位まで教会にいて、翌日のお葬式に備えて帰宅しました。
翌日は朝7時に出発してまずは、アンクルバービの家に向かいます。そこで親族が集まってから迎えの黒い車両2台に乗って、昨日の教会に向かいました。
アメリカのお葬式に列席するのは初めてでしたので、何を着ていけばいいのかも悩みました。日本では大体が当たり前にブラックスーツを着ていけばとりあえず無難に喪服、ということで通用すると思うのですが、こちらではどんな感じなのか検討がつかなかったので、とりあえず日本でもお葬式の時に来ていた礼服を来て行く事にしました。
実際には、色々なタイプの服装の方がいました。アンティの娘さんたちは、それぞれにファッショナブルな迫力のあるブラックドレスを着こなしていてとてもおしゃれをしていました。孫のシャーレーンはタイトなブラックドレスにピンヒールを履いて、ゴージャスなビジューネックレスにサングラスというかっこいいスタイルを着こなしており圧倒されました。
日本で言うところの「質素で目立たないように光るものは身につけないように」という観点は全くなく、むしろその真逆のスタイルに目から鱗でした。静かに弔うというより、故人の親しい人々がみんなで集い、個人の親しかった方々が代表してそれぞれ、その方との生前の思い出や素晴らしさを語たり、合間にゴスペル歌手がソロで賛美歌を歌い上げて感情を盛り上げてきます。そして牧師も白熱した感じで人々に訴えかけかけます。
最初にマイクの前に立った女性においてはバイオレットのソバージュヘアにティアラをつけて挨拶をしていました。とにかく色々な方が思い思いに言葉を述べ、100名近い参列者で会場は埋め尽くされていました。故人の家族に関わりのある方々が来ており、いなくなって寂しいという気持ちより天国へ召されていくんだというような気分にさせられました。
2時間近く時間が経ち、とうとうお墓へ埋葬する時が来ました。家族が先頭を切って教会の通路を歩いていきます。その時も皆が弔いの言葉をそれぞれにかけていきます。
そして車に乗ってお墓に着き、そこへも参列された方達がそれぞれの車に乗って駆けつけ、テントの中にこれから埋葬されるアンティの棺が置いてあり、そこで牧師が最後のお祈りをしてセレモニーは終わりました。
埋葬は皆が帰ってから土に埋めるようで、その時は行われませんでした。それから葬儀に参列していた方達が、皆でアンクルバービーの自宅へ車で戻り、用意されていたケータリングのサンドウィッチや飲み物などを頂き、しばらく雑談を楽しんだ後に家を後にしました。
1週間後にママがワシントンDCに帰る前に、「アンクルバービーと会っておきたい」ということで、私達家族は皆んなで彼の家に遊びに行きました。ママもアンティクラリーサとの昔話を家族で語り合えてお互いに懐かしい思い出話ができてとても喜んでいました。
アンクルバービーは家に一人きりとなったしまいましたが、90歳にも関わらず、気丈に暮らしておりました。すぐ近くに娘さんたちが住んでいるので頻繁に来てくれているようですが、今まで一緒に暮らしていた奥さんが亡くなってしまった寂しさがあることでしょう。それでも
「自分がこうして生きている事に神様に感謝している。」と凛とした静けさで決意のような気持ちを保って言っていたのが印象的でした。
これが私がフロリダに来て初めて体験した家族のお葬式の出来事です。
日本のお葬式とはまた違うお葬式は、なんだかとても心が温まる経験でした。









-300x300.jpeg)











