夫が日本に1ヶ月いる間に#8

皇居の一角

2021年のお正月にまさか夫と共に過ごせるとは思ってもいませんでしたが、私のVISA取得の為に来てもらったとはいえ、夫も久しぶりの日本の年末年始を楽しむことが出来ました。日本には長く住んでいたのでお正月にはお節料理を食べたくなるらしく、帰国前から「お母さん、黒豆〜、しめ鯖〜、えび〜、食べた〜いです。」と日本食を楽しみにしていました。1ヶ月という限られた中で、出来る限りの事をやらなければという焦りと共に、夫がいることも嬉しかったです。

AFFIDAVID取得

まずは、1ヶ月の間に出来る事として外国人登録原票記載事項証明書をお正月明けすぐに取りに行く。これは宣誓供述書に追記事項として何かの補償になるかもしれないので、司法書士の先生から言われる前から取得する予定でいたのだ。

仕事始めの4日にまずは収入印紙と返信用切手を近くの郵便局へ行き、入手しました。実際には切手ではなく、返信用封筒ゆうパックを購入し、を四谷まで書類を申請しに行きました。四谷タワーの13 Fに行くとすぐにオフィスがあり整理番号をもらい10分ぐらい待機したところで呼ばれました。

手続きは意外と簡単で、基本事項といつからいつまで日本に滞在していた時の記録が欲しいのかを記入し、パスポートで本人確認をして収入印紙とゆうバックを渡しておしまいでした。調べるのに2〜3週間はかかるとの事でしたが、本人が1ヶ月いる間にVISAの手続きをする必要があるので急ぎでお願いできるように丁重にお願いをしました。

この書類はすごく早く対応していただいたお陰で4日後に到着しました。それをPDFにして司法書士の先生に送付。そして先生はこれを元に先生供述書『AFFIDAVIT』を作成してくます。

しかし実際に入手した外国人登録原票記載事項証明書には欲しかった情報は乗っていませんでした。(元妻といつ離婚したかがわかる情報が載っていることを期待していたのです。)

とにかく思いを先生に託して、文書を作成してもらいました。

2月1日にはアメリカへ帰国してしまう時には私も一緒にアメリカへ行きたいので、できるだけ早急に進めなければなりません。

後日、先生の都合が付く14日に神田公証役場で待ち合わせをしました。

当日は先生の緊急の都合でかわりの方が公証役場まで来てくださり対応してくれました。一応、夫もこの時とばかりにわざわざスーツを持参し着用してもらい、ピシッとした格好で少しでも「印象をよくしよう」と頑張りましたが、別に普通の格好でも構わなかったかもしれません。

手続きはこれも簡単で、公証役場の担当官の前で書類を確認してもらい、しばらくしらから呼ばれて、渡された書類には公証人、法務局長、外務省の各承認の印鑑が押印され、無事に『AFFIDAVIT』が出来ました。この書類を作成してもらうためにわざわざ日本に来てくれた夫に感謝の気持ちが込み上げ、思わず感無量となるかと思いましたが、意外にもあっけなく終了しました。でもとても嬉しかったです。

翌日、その書類のコピーと共に大使館に送付しました。夫がアメリカへ帰国するまで残り約2週間です。いつ返事が来るかと毎日オンラインでVISAのステイタスチェックをするたびに、状況は以前として進まずがっかりしていました。

日本にいる間の毎日が特別な日

夫が日本にいられるのがあと2週間、もう半分の日数が経ってしまい、残りわずかとなる日々をどこに行ってみたいかと聞いたところ、「皇居に行きたい。」ということで、家族揃って久しぶりに皇居へお散歩に出掛けました。

その日はお天気が素晴らしくよく、とても静かで穏やかな気候で、とても気持ちがよかったです。コロナ禍で遠出は出来なかったのでちょうど良い気晴らしになりました。

日本に当たり前に住んでいる時にわざわざ出掛けたことがなかったので、新鮮な気分で皇居の周りを散策させていただきました。やはり気がいい場所なのか、可愛らしい黒と白の鴨がお堀の水辺でゆったり泳いでいて気持ち良さそう時間を忘れて見入ってしまった。そのあとは久しぶりに近くのホテルでランチをして、とても楽しい1日を過ごす事が出来ました。

皇居の鴨
皇居の可愛い鴨

そのほかにも、近所のスーパーの日常の買い物や、普段、アメリカでは食べられないという思いから外食も。とんかつ、洋食、お寿司、焼肉、イタリアン、フレンチなど、アメリカにいては味わえないであろう日本の食事をしにいろんな所へ行きました。。それからアメリカにいるとあまり気にならないが日本では顔が乾燥していたので、嫌がる夫に無理矢理、自宅でのフェイススチーマー。いる間だけしか出来ない事だからと、7回くらい体験してもらったりしてなんだか可笑しかったです。

PCR検査を予約

そうこうしている間にアメリカへの帰国が近づいてきて、帰る時にも日本でPCR検査が必要ということで、ネットで色々と検索してバイク便で検査キットが送られてくるタイプの検査もありましたが、結局は病院で直接、検査をしてくれる所を選びました。

帰国の2日前に検査を受けて、結果は検査の翌日の6時過ぎに受け取りに行かなくてはならなかったが、何社か比較した結果、渡航用の陰性証明もついて20,000円とリーズナブルだったので、Tケアクリニックに決めた。キャンセルはいつでも出来るとのことだったので一応、私の分も予約をしました。

実際には、私のvisaは夫が滞在中には返答がなく、とうとう夫が帰国する日が迫り、荷造りが始まりました。スーツケースを私の荷物も入れて帰って欲しかったので、2個で来てもらいましたが、結局はほどんが夫の荷物とお土産が入ってしまっているので、私の荷物は断念しました。

PCR検査を2日前の午後1時に受診し、検査はパスポートを見せて、問診票は事前にネット上で送信していたので、当日は、軽く先生とのやり取りを画面上でした後ですぐに検査をしてくれました。結果は当日にメッセージが届き、陰性という事で、一安心。そして翌日の夕方6時過ぎに渡航用の陰性証明を受け取りに行きました。 

夫がアメリカへ帰る

そんなこんなであっという間に毎日が過ぎ、とうとう帰る日になりました。予約していたハイヤーで再び羽田空港へ家族で見送りに行きました。

羽田空港には夫の英語の生徒さんだった警部補の方が、久しぶりに夫に会いたいということで、勤務が終わってからちょうど時間をとってくれたらしく、見送りに会いに来てくれました。夫も久しぶりに日本で生徒さんに会えて、とても喜んでいました。お互いの再開をしばらく喜びあい、そろそろ旅立つ時間になり、1ヶ月という日本滞在を無事に終えて、フロリダへと再び旅立って行きました。

さっきまで一緒にいたのに、またいなくなってしまった時は、わかっている事だったけど、家族みんなが、とても切なくなりました。一体いつになったらアメリカへ行けるのか、なんとも言えない気持ちで家路に着きました。

50歳になってもチャレンジングな人生を歩み続けるとは思ってもいませんでしたが、人生の流れに乗って新たな生活の場をアメリカフロリダ州 West Palm Beachに移住することになりました。その経緯や今後の生活で感じたことを綴っていきたいと思います。

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