マトリックスの中で生きている#47
自分を悩ますのは社会の信念体系
ここまで生きてくると、生きるために人生のチャレンジをしてきたが、オリジナルを生きている割に、みんなと同じような幸せを夢見て、そうでない事に自己卑下をして、自分を責めていたことに気がついてくる。
これは自分ではない、他の誰かの思いを自分のことのように思ってしまい、自分の思いと勘違いしている状態なのに、それに気が付かないで自分を責めて苦しんでいたりするのです。
人生は楽しく、幸せでいいのに、自分らしくいることに不安になって、社会通念と比較して、人との違いや不出来に自分にダメ出しをして、自分を苦しめていることがあります。
みんなと同じではない事はわかっている。人それぞれに人生があり、経験する出来事や思い方など、全てが違うから。
それでもなぜ、人は人並みの幸せを自分の生き様と照らし合わせてジャッジするのでしょうか。
今となるとどうしてそんな事を思っていたのか、自分でも笑えてくるのですが、そうするのが世の常で、無意識下でそれを受け入れて生きなければならないと思い込んでいる自分が、知らぬ間にいました。
自分が出来なかったことへの後悔や、自己卑下、自分責め、これらは全て自分と社会の中での出来事を照らし合わせて、社会の基準に満たない部分の自分を見て、そのような思いを抱いていることに気がついてきます。
自分の意見や気持ちだと思っていた事も、実は世間的には良いとされる事をいつの間にか自分の気持ちとしてそれを選んでいた、と言う事に気が付きます。
わかりやすい例えで言うなら、高学歴、優良企業への就職、適齢期の結婚、子供を持つ、精神的なところでは、頑張らなければならない、人には常に優しく、自分より他を優先する、このような事がよく言われている社会的に幸せで豊かになれると思い込まされている事です。
実際には全員が全員、そのような状況になれるわけもなく、全てが入り組んで出来上がっている社会なのに・・・です。
ステレオタイプに生きれていないと、そんな自分を責めて人は悩み始めます。
ここまできたら、今までのように生きられなくなった
これまで、人生がうまくいかなくなって、それなら今度は違う何かにチャレンジしてみるけど、満足な結果になることがなく生きてきた私には、今までのように外側を頑張ることだけでは意味がないという事を何度となく体験してわかってきました。
普通なら、生活の為に働くのは当たり前で、それが出来ない自分は、怠け者で、社会のお荷物だ。と自分を責めてしまいそうですが
体がいうことを効かなくなって、それは出来ないのをいい事に、何もしないという状況下でいかに自分を生きるか
ある意味の拷問である。年齢のこともあるかもしれないが、とにかく今までのように働くことに抵抗している自分がいた。
何をそんなに抵抗しているのか?
体力がなくなった
新たな職場での人間関係を考えると面倒くさい
時間に拘束されることが苦痛
表面的な理由を挙げればそれまでだが、実際には今その状態に戻ってしまうと、せっかくわかりかけた感覚がまた元に戻って
もう二度と戻れなくなることへの恐れがあった。
でも、これは、とにかく魂の声がわかりたくてアメリカから一旦帰国したからであって、ずっとでは・・・ないのかもしれない。
そのことを自分自身が納得れきれば、また働いてもいい、と思える日も来るかもしれない。
でも、今の私はせっかく与えられたチャンスなのだから、思い切り自分に向き合う必要があったのです。
知らない間につけられていたコードに苦しむ
今まで生きてきた中で、私自身についてしまった目に見えないコードがあるという事がわかってきました。
やる気があっても、認めてもらえない、どんなにやっても報われない、実績がないから無理、など、いろんな理由を知らないうちに自分がそう思っているかのように感じてしまう。
これは自分が経験してきた事で、出会った人や出来事を通して自分が自分につけた傷でもあるのですが、実際にはそれだけではありませんでした。
リーディングを続けているうちに、知らぬ間に、人からつけられている私へのレッテルと言うものがありました。
私自身がその思いを持っているから、目の前に起こる出来事を通してそれを経験するのですが、そのうちに「人から当たり前にそのように私を見ている」という事を「受け入れている自分がいた」という事でもありました。
時代を遡っていくと、そのコードをつけたのは権威主義者の叔父であったということもわかってきました。そしてそれはコードだけではなく、心の傷にもなっていました。
その叔父は”有名大学を出ていなければならない。優良企業で働き続けて良いポジションを得ていなければ認めない。”というように本当に権威主義をそのまま生きているような人でした。
その叔父は高校生の私に、”自分の力では何も出来ない無能な奴”といったような言い草の言葉を最初に吐いた人物でした。
私が親の仕事の都合で転校を余儀なくするしかない状況下で、3回も高校を変わらなければならなかった事で、とてもストレスを抱えていましたが、心配をかけまいと我慢をするしかなかった中、珍しく、自分の状況の不遇さを叔父に呟いたことがあったのですが、その時の彼の心無い言葉に、まだ無垢な高校生だった私は、どうやら深く傷つき、それをずっと持ち越したまま人生を歩んできたように思います。
話は戻るのですが、その叔父は大人になってからも、私のやることなす事にすべからく文句をつけてくるのでした。私の再婚相手や、カフェ&サロンをオープンする時、アメリカに移住する時、人生の転換期に必ずチャチャを入れてくるので、本当に厄介な存在でした。
今ではすでに忘れてもいいのですが、どうやらこの時にできた心の傷と共にコードも一緒につけられていたようです。
もちろん、叔父だけではなく、他にもつけられていたコードを自分が持ち越してきたコードはあったので
先日、その信念体系と共に、契約解除をして幾つかのコードを抜いてもらったら、目の前の現実が変わる出来事がありました。
よくよく思い出してみると、その当時の私の家族の住環境がかなり普通ではない中で暮らしていたことを思い出しました。父は単身赴任で地方を短い間に何度も引越しをし、母と私と妹の3人は母方の祖母の家に間借りして3人で一部屋に住むような暮らしでした。そして極め付けは祖母の家の改築も合わさり、煩雑な中での暮らしとなったことも、精神的に落ち着かない生活となったことも要因だったと今さら、思い出されました。
現実的な変化
最近は実家で暮らしているので、高齢の母とは意見や生活の仕方の相違でたまに言い合いになるのですが、いつも私の行動に何かしら文句を言いたくなるらしく、とても厄介に思っていたのです。
ところがコードを抜いてもらった日に母の態度が180度変わったのでビックしました。
その日の夕食時に、その話をしていたら、母が急に私の人生で最高に良い状態の私(小学生時代)😆を思い出したかのように、私のことを『あんなこともできるし、こんなこともできる、みんなから好かれてすごいんだから』と賞賛の出来事を思い出したのか、私のことをダメ出しをするのではなく、褒め出したのです。
私も妹もびっくりしましたが、これは目に見えないコードをとったからこそ起こった出来事でした。
このようにそれを実感することができたのには、びっくりしました。
目には見えていないけれど、知らない間についてしまったコードを契約解除をする事によって自分が苦しんでいた事が解消したように感じました。
それによってマトリックス社会の中で、苦しんでいたのは、知らぬ間に自分の中に取り込まれていたものが、自分の中にある傷や思い込みとなった信念体系と絡んで、コード化している事であった事にも改めて気付かされました。
これを見つけてクリアリングしていくことで生きづらかったものが少しずつ楽になっていく過程なのだと実感しました。
目に見えない存在の仕業
私がこの世が何かおかしな事になっていると最初に思ったのは、911の時に飛行機がビルに衝突したのにも関わらずに、そのビルには飛行機の残骸が残っていないという報道を見た時に『????』となりこれは何かおかしいと思いました。
そして次は311の時、都会のど真ん中のビルの中でお茶をしている時に、とても大きな地震を経験しました。テーブルの下に頭だけ隠れているが、頭上のワイングラスや吊り下がりのTVスクリーンが、ぐわんぐわんと揺れて、心臓が今までになくバクバクと音を立て、自分の身の危険を感じた時でした。
そして個人的な事で言うと、30代で離婚をした時に、自分の意思とは関係なく、1度目の6年間の結婚生活があっけなく幕を閉じた時でした。相手がうつ病になってしまい、私は彼をヘルプする気があったのですが、相手からはそれは拒絶され、サポートしたくても出来ないという状態に急に陥った時です。彼が彼自身の母親との心の葛藤の末に、どうしようもない精神状態になったことで、私の気持ちはとにかく関係がなく、相手がただ良くなるようにするためには、自分の意思を抑えて身を引くことしか選択はなかったのです。
当時は目に見えない存在があることなど、全く知らなかったので、自分を責め、塞ぎ込む気持ちに蓋をして前を向いて頑張り続けて乗り越えていくのが人生だと、勘違いをしていました。
実際に状況は変わることがあっても、心の中のモヤモヤを消えることなくくすぶっているまま、古傷の上にさらに瘡蓋を作り込む、というように頑張りを続けることで乗り越えられると思い込んでいたのです。
現実の私は、本当は深く傷ついているのに、私には何事も起こらなかったというような無頓着な自分を装っていたのです。しかも自分でもそれに気が付かずに・・・。
そして離婚後の私は現実が急におかしくなり始めました。
マンションの隣の人から、言われのない騒音問題で文句を言われ、挙句、実家に引っ越しをする羽目になったこと。
その後もその人から、実家に押しかけられ追い続けられたこと。
新たに美容業界で頑張るも、体調が悪くなり、咳が止まらなくなったり、家の外にあるかなりの勾配がある階段から12段も転げ落ちて全身打撲になり、自力で手を握ろうとしても握れなくなり、髪の毛も転んだ拍子にバッサリもぎ取られるほど酷い事になったり、さらにはぎっくり腰になってその時のネイルの仕事を諦める事になり、不運がこれでもか、というように押し寄せました。
そして私だけではなく、アメリカから帰国した妹もそれまでうまく回っていた人生がうまくいかなくなり始めました。
何かに襲われていかのように、不運な出来事が周りでも起こり始めました。
それまで守られていたプロテクトが外されたような感覚です。
お祓いをしたり、神棚を整え直したりして、いろんな事を試みましたが、なんだかスッキリした感じがないままに人生が過ぎていきました。
『私が一体何をしたの?』その当時は答えが見出せないまま、ただひたすら目の前の現実を生きることしかできませんでした。
とにかく、そこからがとても長い、目に見えないものとの闘いだったように思います。どんなに目の前の現実を良くするように頑張っても報われないという、エンドレスな闘いです。それこそ、信念体系というものと、自分が闘っていたとは気がつきもしませんでした。あれから25年、たくさんのことにトライしてはエラーをするを繰り返しました。
結局は私の内面にある不具合に目を向けていなかった事で、何度もそれに気づくことをされているのだった、という事なんだと今は、わかります。
今はだいぶ時代が良くなって、そのような実体験を踏まずとも、自分自身の内面の世界に目を向けて、自分の中の不具合を見つけてクリアにして統合していくという作業をすれば、前に進むことももう少し楽にできたのでしょう。













-300x300.jpeg)








